本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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特筆すべきは「建内宿祠大臣沙庭に居て」である。何故なら初めて神主、琴師、審神者による3員制の幽斎が文献上明らかになるからだ。(本田翁によって琴師を審神者が兼ねる2員制に変更されるが)
「建内宿禰沙庭に居て、神の命を請ひまつりき」とあるように、この幽斎の場で神に問いかけているのは審神者・建内宿禰なので、審神者を通して神意を伺うという形式が確認できよう。
国家の大事を伺う幽斎なので、今でいう公式幽斎に相当するが、「詐為す神」という記述があるように当時、帰神術の際に正神だけでなく邪神の神憑りもあったことが窺える。故に審神者が必要とされていたのだろう。つまりこの頃には既に、「審神者の法」が確立していたことがわかる。
幽斎の場では、審神者が大きな権限を持つ。そのため「恐し、我が天皇、猶其の大御琴あそばせ」と天皇に要請している。如何に天皇とはいえ、琴師として幽斎に参加している以上は、審神者である建内宿禰に逆らうことは出来ない。その為、「詐為す神」と疑い琴を控くのをやめた仲哀天皇も「爾稍其の御琴を取り依せて、なまなまに控き坐しける」ことになった。しかしながら「幾久もあらずて御琴の音聞えずなりぬ。即れ火を挙げて見まつれば、既く崩りましにき」という悲しい結末を迎える。幽斎は真剣かつ厳粛に行われる。その貴重な教訓を、我々も学ばなくてはならない。