本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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崇神天皇の時代に、八咫鏡の同床共殿が変更された。本田翁は三種の神器を鎮魂の器械だと言われているが、それを失ったが故に天皇と神々との交流の形が変わったのだと筆者は考えている。
もちろん、形代として宮中に神器を残してはいるが、神界の許可がなければ、同じというわけにはゆかない。記紀によれば、切掛けは五年の疫病(疾疫)により人口の半数が死亡し、更にその翌年百姓が流亡離散し背くものも出てきた事等、とされているが、過去に同様の状況はなかったのだろうか。筆者は、この「切掛け」にあまり説得力を感じないのだが。
崇神天皇は、八咫鏡を豊鍬入姫命に託けたわけだが、本来であれば、宝鏡奉斎の神勅を変更する時点で厳粛に神意を確認し、そしてなぜ神勅を放棄したのか、後世の為にそこに至る経緯を記録に留めるべきだったと思う。
その後、渟名城入姫命の件もあり、漸く神浅茅原の神託に向かうわけだが、それでも解決できずに最後は神感法を得てという流れになっている。最終的には、疫病も収束し、国内も平穏になるが、我々はその後の歴史の中で宝鏡奉斎の神勅を放棄した事実をどう解釈すればいいのだろうか。