本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『顕の幽、幽の幽の此の自感法は、その現象並びに状態が、他より望見しても判然としない為に、果して正則な自感法を行って居るや否やは見分け難いものであるが、偉れた霊能者が視れば、其の境地現象等は、判然と区別出来得るものである。
この正式な方法で執行する自感法に、似て非なるものがある。それは俗に云う行者輩(神仏を間はず)の行う神降しや神憑りの形式である。此の様な者は大抵は自己催眠的なもので、よく自問自答の行為などをして、お告げとか申して行なって居るのを見かける事があるが、此れらは実に低級なものである。又中には稀に邪霊が憑依して、宛ら正神の霊の如く振舞い誇大な名を名乗り、これ等と問答する様な形を示す類など各種各様が有るけれども、此等は、其の行者自体が、幽冥界に正神邪神の界の有無も知らず、又眷属界や其の他の界の有無をも知らず、幽冥界組織に就いて全く無智な者の行う処であって、その行為の不浄な事に於いては、正しい神霊が御懸り有る訳は無く、又真の霊学を身に備えて居なければ正神の御加護も有る事は無いものである。其れに加え、鎮魂力も皆無で、なお審神者の術も会得して居らぬのに行った処で、何ぞ正神界の善霊が御懸りする事があらうか。
神術を修むる者は、よく此の点に留意するべきである。』(「顕神本田霊学法典」)