本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『問 その融合せし霊が神主に懸りて口を切り、固有の御名を名乗られるか、此の点に付き説明を願う。
答 審神者が神主に何回か転霊すると云うことは、一、二回ぐらでは霊気が身体に充実しない為に、全身に溢れる迄続けるのである。この全身に霊気(神気)が充実せし時に、神主が体を切る(専門語−第四節に述べる)のが正則とされている。さて御名を名乗られると云う事は右の如く「神気充満して体を切った瞬間に、始めて一柱の神霊、又は眷属霊となられて、その活動せられるべき御名を備えられる」事となるのである。』(「顕神本田霊学法典」)
『審神者が神主に神気を転霊する時、光り輝く玉の状態になっているが、未だ御神名はない』(「古神道の秘儀」)
この文面では、「光り輝く玉の状態になっている」神気を転霊するかのごとく読むこともできるが、だとすればそれは誤りである。そうではなく、転霊した結果、神主の中で神気が「光り輝く玉の状態になっている」というなら、それは正しい。