本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『第七章 神感法
長沢翁門下で傑出した神主は宮城島金作氏である。氏は明治二十七年、御穂神社々務所に於いて翁を審神者として帰神を執行されたことがあった。其の折に御穂神社の御眷属八千彦(やちひこ)命が御懸りあって、日清戦争の状況に就いて予言あられた。その神詰と申すのは、実に微に入り細にわたって正確であったことに並び居る人々を驚嘆させたとの事である。之れは翁にとって帰神予言中の最大である収穫であったと言はれている。
翁は本田翁より伝授された帰神術の試験台として、宮城島氏を小児の頃より指導されて居たものであるとの事を関係者より聞いて居る。
稲葉大美津翁は宮城島氏と友人で、曾て御穂(三保)神社々務所で起居を共にして修業して居られたとの事である。其の折夜中に時々氏が寝て(眠って)居りながら体を切るので、驚いて眼を醒す事があり、翌朝になり氏に其の状態を話して聞かせ覚えて居るかと尋ねても全たく知らぬと答えられる事が多かったそうである。
此の様な状態は再度ならずもあり、横に寝ながら体を切ると云う事は珍らしいものであると、よく稲葉翁が筆者に語られて居った。此の状態は何か神界からの御用が有られて御懸りになったのではないかとも思はれるが、何分本人が眠って居ったのでは審神者する事も出来ないし、憑霊を調べることも出来得ないのも当然と云えよう。
筆者が考えるのに、神界で御用が無くて体を切る(御懸り)訳はなく、此の場合は或は氏の霊魂のみが神界に到って何らかの御啓示が有ったものと察しられる。この故に自分は(肉体的に)知らずとも、霊的には何かの御示しが有られたものと惟うものである。
神感法とは、当方より求めないのに神界の御用か御意志によって、修法中のみならず、処を選はずに突然と憑依あられて御啓示御託宣下さるもので、其の状態になるのは周囲の人は勿論、本人さえも気付かぬ場合もあると云はれている。右の宮城島氏の場合も然りであるが、実に神感法と申すものは「幽の幽」である事を悟るべきである。』(「顕神本田霊学法典」)