本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『かくの如く、邪神は神主に感合して第一に審神者を迷わせ、神主その者を迷わせ、しかして世人を瞞着せんとするなり。故に審神者にしてその器に非あらざる時は、ついに邪神のために、幽斎研究の道場を始め精神までも占領せられて、妖魅界に引き込まるる事あれば、最も慎しむべきなり。
妖魅を退散せしむるには、まず言を以て懇ねんごろに説諭するにあり。二、三回までは、説諭を以て追い出すべしといえども、なお戒心せずして大神の御名を詐かたるにおいては、容赦すべからず。直ちにわが霊を以て、その悪霊を束縛すべきなり。縛られたる霊は、苦悶の声を放ちて七転八倒するものなり。されど審神者より「赦ゆるす」の一言下るや、直ちに許されて逃げ還るを常とす。』(出口王仁三郎著作集第1巻第10章)
『妖魅を退散せしむるには、まず言を以て懇ねんごろに説諭する』
佐藤先生は妖魅と判断された時点で、名前を聞く必要もないと仰っていた。つまり口を切らせる必要がないという。
『直ちにわが霊を以て、その悪霊を束縛すべきなり』
長年にわたる審神者経験でも、佐藤先生が霊縛法を使われたことはなかったそうだ。ご本人から直接伺ったので間違いない。
筆者も先生が犬神憑きのような方を審神者したときに同席したことがある。体を切らず遠吠えを繰り返していた神主に、先生はただ視線を向けられた。その直後、その方は体をブルブルと振るわせて、その後ぐったりとした。先生が拍手されると、そのまま彼は立ち上がり部屋を出て行ったが、先生曰く「妖魅霊が私に飛びかかろうと構えていたが、一瞥したら直ちに退散した」そうだ。
先生が霊縛する必要を感じたレベルの妖魅は、これ迄いなかったとのこと。大概は一瞥するだけで相手が逃げたという。格の違いに妖魅霊が恐れをなしたわけだ。