本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『上田会長の留守中に、上谷の修業場は、霊憑りの発動で、修業者二〇余人のうち大部分が妖魅に憑かれて大騒ぎとなった。なかでも、福島の霊憑りははげしかった。「丑の年に生まれた寅之助で、丑寅の金神だ」と叫んで、裸になり、開祖の筆先の言葉をまねて、のべつまくなしにどなりちらし、始末におえない状態となった。
会長が祈願をこめて鎮魂をしたので、一時は発動がしずまったが、他の霊憑りにも、たくさんの妖魅の同類が憑って福島に加勢し、霊憑りが口をそろえて、「皆の者シッカリいたさんと、上田の曲津にごまかされて、ヒドイ目にあわされるぞよ。誠の艮の金神は福島大先生にちがいないぞよ」などと叫ぶと、それを聞いた福島はふたたび発動し、眉毛をあげたりさげたり、眼をむいて腕をふりあげ、とんだり跳ねたり、畳は穴があき、床は落ちるという騒ぎを再演した。村人がめずらしがって、弁当もちで見物にくるようになると、修業者の親や兄弟が怒ってつめより、「狐つきにした、気狂いにした、告訴してやる」といって上田会長をせめた。四方藤太郎が協力して、会長がようやく鎮圧したが、一時はどうなることかという騒ぎであった。』(大本七十年史 > 上巻 > 第一編 > 第五章 開祖と聖師)
ここでもまた「始末におえない」状況になっている。自身の限界を知ってやめればよいのに、その後も続けて収拾がつかないような酷い状況が連日続いていた。
さらに開祖と会長の衝突がそれに拍車をかけることになる。