本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

************************
一方、出口氏は自身の鎮魂帰神指導、並びに浅野氏との出会いについて下記のように回想している。どうやっても上手くゆかない自身の幽斎指導に嫌気がさし、自分の代わりに信徒の相手をする人物として浅野氏を選んだようだ。
『それから自分も病人の鎮魂がサツパリ嫌になり、神懸りの修行も断念して了ふた。が大正五年に横須賀の浅野サンの宅へ行つた時、参考のために又もや幽斎の修行をして見せたのが元となつて浅野サンが霊学を熱心に研究し始める事となつたのである。』(霊界物語 第38巻)
この出口氏の回想は真実だろう。自称とはいえ自ら「審神者」として指導した際に、連日連夜妖魅しか憑らなければ、誰でも自信を喪失してやめていただろう。それは審神者としての実力の無さの証明でもあるからだ。(尤も彼は本田霊学の審神者ではなかったが)
正統な本田霊学の場合には、そのような事がないように半年から一年程、師の元で審神者としての修練を積むので、そのような事態にはならない。佐藤先生は審神者の法を伝授した後に、幽斎の場で、その新たな審神者の脇に坐られて監督されていた。その都度、審神者に指導や注意をされ、先生から見て安心できるまで付き添われていた。つまり、それも含めて審神者の法の伝授ということだ。