本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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次に浅野氏ではなく、大本側の文献を見てみよう。
『王仁三郎は四月二八日、浅野夫妻らと綾部を出発、二九日横須賀の浅野の宅につき、海軍機関学校長・木佐木少将夫妻ほか数人に面会し、鎮魂を実施した。五月一日東京池袋の尾寺宅へ出向き、五月三日には横須賀の三浦屋(成川浅子宅)に一泊して、そののちふたたび浅野宅に滞在し、海軍将校や海軍機関学校の教官たちに、宣教とともに鎮魂の実修をした。そして浅野に審神者の資格をあたえた。』(大本七十年史)
出会って1週間足らずで、ほとんど修行らしいこともせずに、浅野氏は出口氏から大本での審神者の資格を与えられる。それが後日良し悪しは別にして、大本教を巨大化させることになるとは、出口氏も想像できなかったに違いない。そして浅野氏は連日連夜、多数の大本教信徒を相手に浅野流の鎮魂帰神法を指導することになる。
つまりある時期までは、出口氏と浅野氏はある部分、利害が共通していた。それが脆くも瓦解したのは、官憲との軋轢が切っ掛けとなってのことだと思われる。