本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

************************
浅野氏はその著書で自ら指導したという鎮魂帰神法について、その実態を吐露している。
『が、過去現在の大本敎が何であらうとも、靈的體驗を、ふんだんに供給してくれたことにかけては、私はどんなに感謝しても、感謝し切れなく、考へて居るのであります。信仰を求めて、大本に集つた人達から云へば、あそこが立派な修行場でありませうが、私から云へば、あそこは一の實驗場で、信者は悉く私の研究材料であります。
大正六年頃は、集まつてくる人數が、それほどでもありませんなんだが、七年八年となると、イヤ實驗材料が集まる集まる、一日平均二三百人にも上るのですから、私に取りては、誠に以て難有い仕合せで、腕によりをかけて、片ツ端から神懸りの實驗を試みました。何も知らない世人は、鎭魂などゝいふと、世界で特殊の神秘的な靈術でもあるかの如く思はれるかも知れませんが、實はある一二の形式をのぞけば、單なる一の精神統一法に過ぎないので、催眠術と云つたところが、座禪と稱したところが、觀法と呼んだところが、その根本の趣旨──卽ち人間の靈肉一致の常態を打破し、心靈作用の發動を講ずる點に於ては、何等相違點はないのであります。
私はむろん成るべく日本在來の形式を守りて、鎭魂の實修をすゝめましたが、お蔭様で、大ざツぱではあるが、心靈學上の重大なる諸問題──例えば死後人間の幽體、並に靈魂が實在すること、それ等の靈魂は、生きてゐる人間の軀に憑依すること、千里眼、透視、自動書記等といふ現象は、決して詐術の所産でなくして事實であること、現界、幽界34界等の間には、なかなか密接なる關係があることなどが、曲りなりにも、實地體驗の上から、ドウやらはつきりと會得することが能きました。甚だ口巾ツたい申分ですが、動物靈、其他の憑依現象を、世に發表したのは、私の方が西洋の心靈學者よりも、些と早かつたやうです。それも偏に私が大本敎の内部に居て、實驗の便宜を有したからで、私が烱眼な爲めでも何でもありません。』(「心霊学より日本神道を観る」浅野和三郎著)
筆者はこれを読んで驚くと共に、とても悲しく残念な気持ちになった。