本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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ところで、そう語る浅野氏も、指導の折に何度も殺されかけたことがあったと述懐している。
『霊から暴行を加へられて、九死1生の散々な目に逢ふに至りては、さらに一層つらいものであります。ところが、最初両三年間、私は「今度という今度は、いよいよお陀仏かな」と覚悟したことが、幾度あったか知れません。審神者という者は、ある意味に於て、全く命懸けでなければ勤まらない職業です。』
『彼等はその場に有り合ふ棍棒なり、武器なりを振りかざして、審神者に打ってかかることが決して稀でない。』
『私の体験した中では、Y海軍大佐(現在は大将)に憑って、私の頭部をなぐりに来た豪傑肌の天狗、またKという実業家に憑つて、ピストルで私を撃とうとした気狂天狗などが、乱暴者の好標本だったでせう。』(いずれも「心霊学より日本神道を観る」浅野和三郎著)
浅野氏の鎮魂帰神法では、殴り掛かられたり、ピストルで撃たれたり、刀で切りつけられたりと、信じられないような修羅場になったというが、それは信徒達というよりも審神者を自称する浅野氏に問題があったとは思わないのだろうか。憑る霊がほとんど全て妖魅霊なのだから、神人合一とか、御神霊の懸かる帰神術とは程遠い。これで「日本神道を観」られてはいい迷惑だ。