本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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出口氏自身も、大本での鎮魂帰神法では随分苦労していたようだ。大正10年には、ついに
『鎮魂帰神の法は伝授してあるが、神憑りは許していない。旧役員の神憑りはすべて偽神術によるものであると警告し~』(大本七十年史)とまで宣言している。
つまり大本では神憑りを正式に認めていなかったことになる。ならば大正10年頃までその偽神術を黙認していたのはどういう訳なのだろうか。この警告の後、浅野氏らは大本を離れてゆく。結局、浅野氏は大本で日夜休みなく審神者(?)に励んでいたが、出口氏から見て頷けるものでなかったという事だろう。鎮魂法でもない神憑りでもない「浅野流鎮魂帰神法」は、様々な物議を醸した後に幕を閉じることになる。
もともと鎮魂法や帰神術を正式に伝授されたわけでもなく、かつて主宰していた交霊会の延長線上に「人体実験の場」として大本を利用していた浅野氏は、その後「神霊」から「心霊」へとターゲットを変更してゆくことになる。団体の巨大化には貢献したものの、大本教に対してそれ以上のマイナスを与えることになった浅野氏を出口氏がどう思っていたか、その真意は筆者にはよくわからない。浅野氏は、その後新たな宗教団体ではなく、「心霊科学研究会」や「東京心霊科学協会」などを創設し、心霊学の普及に努めることになる。それは彼にとって原点回帰だったのだろう。
大本を離れ宗教団体を設立した友清氏、谷口雅春氏、岡田茂吉氏、中野与之助氏らとは異なり、心霊学探求の道へと進んだ浅野氏はその後、水を得た魚の様に内外で精力的に活動するようになる。