本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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友清歓真氏の鎮魂帰神法
ところで浅野氏が大本で頭角を現した頃、若き日の友清歓真氏も彼の元で筆を振るうことになる。友清氏は最初に浅野氏の審神者を受けている。その時の憑霊は低レベルの霊だったというが、それは彼のプライドを大きく傷つけたことだろう。
友清歓真氏は入信後1年程度で大本を離脱しているが、彼は大本の鎮魂帰神について次のように批判している。
『その檄文では、「綾部の迷信邪教なる事を看て取る事が出来た」と脱退の理由を明らかにし、「大本教の裏の秘密を看破って、筆剣を翻してこれが撲滅の決心を為すに至った」として、大本の鎮魂帰神は本物ではなく、また、世界の主宰神と称する艮金神も、世を惑わす邪神だと断罪したのである。』(「新・日本神人伝」)
『これは本田式の誤った鎮魂帰神法がブームとなっていることに対する危機感であり、もっといえば、大本離脱後の友清歓真が「浪人霊のお祭り騒ぎ」「狐や狸の遊び場」(「鎮魂帰神の原理及応用」)といって否定した、大本におけるざわついた鎮魂帰神(神懸)の現場に対する危機感にほかならなかった』(「新・日本神人伝」)
『友清と大本は鎮魂帰神の本家をめぐって激しく言い争っていたのだが、大本流を否定する友清の本田式鎮魂帰神にも、別の角度からの批判がないではない。(中略)
長沢は、王仁三郎および友清、両者の鎮魂帰神について否定的で、いずれも本田式とは異なるものと見なしていた』(「新・日本神人伝」)