本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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世界に目を向ければ、キリスト教に限らず多くの宗教で同じようなことがあるようだ。巫女というかシャーマンが代表して憑霊するケースと、礼拝中に信徒が複数憑霊現象らしき状態になるケースなど様式は様々だ。
後者の場合、筆者の知る限り、聖職者ひとり(或いは少数)に大勢の信徒が向かい合うような形式で礼拝中の「異言」が起きている。ちょうど浅野氏が大本で行っていた鎮魂帰神法の修行と同じような設定だ。浅野氏は聖書の知識が豊富だったから、キリスト教と同じような形式を違和感なく採用できたのだろう。
コリント書でパウロが言及している異言のルールを見ると、当時パウロが苦心していたのがわかる。実際、現在のキリスト教では聖書の解釈によって肯定派と否定派に分かれているようだ。
ところで、出口王仁三郎氏、浅野和三郎氏、友清歓真氏らは、キリスト教やオカルティズム、西洋型スピリチュアリズムなどの造詣が深かったという。だとすれば聖書の「異言」や「按手」についての逸話も当然知っていたはずだ。