本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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長沢翁が出口氏を陰ながら応援していたのは、日本の将来を憂いたからだったと思う。出口氏の大本での指導内容は、浅野氏の鎮魂帰神法も含めて、とても長沢翁の許容できるものではなかっただろう。しかし、それでも翁は大本事件で出口氏を擁護し、交流を断とうとはしなかった。出口氏も終生長沢翁を師と仰ぎ、心からの敬意を示すと共に、翁の帰幽に際しては寄付までしている。
出口氏は『他人でありながら、親にもまして自分を教育して下さるのは先生だから、師はどこまでも大切にせねばならぬ。忠信孝悌の道が廃れてどうして人間の道が立つものか、立替へ立直しが出来るものか。王仁は残されたる唯一の恩師長沢先生を親よりも大切に思つて居る。先生もお年を召してゐらつしやるから、御達者な間に天恩郷や綾部の状況もお目にかけたし、嵐山の花も御案内したい。近々王仁自身でお迎へに行く積りである。」(「玉鏡」出口王仁三郎著)と述べている。この辺りが友清氏などと違う所なのだろう。