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大和心

第1300回 道之大原(本田親徳翁)-7(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2026-06-27

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

至聖大賢斯民所称。神眼視之未尽善美。況於其他乎。故先霊不能守後魂必矣。

訓

至聖、大賢は斯れ民の称ふる所。神眼之を視るに未だ全美を尽さず。況んや其の他に於てをや。故に先霊の後魂を守る能わざるや必せり。

解説

聖とは霊知り(霊を知る)とも申し、聖人を指す、例えば釈迦の如きもの。賢とは孔子、孟子の如きを指す。釈迦、孔子等は人々の讃嘆する処であるが、かかる聖賢英雄、偉人等は神界から見玉えば未だ未だ至らぬものである。神の眼より之れを見れば全美(完全無欠)とは云えない。真に全美を尽した教示なり理論なりを以って居ったなれば(その霊力又は霊眼等を含めて)、其の生れた(育てられた)国の後世の国家国体とか、又は社会、人民なりを守護する働きを示さなければならないものである。然るに、印度にしても支那にしても国体、国家と云うものは事実上滅亡して居ると云っても過言ではない。此れに比して我が国は神の造られし国であり八百万神々が御守護下されて居り、太古の神代の昔より歴代の一系の天子と共に、国民(蒼生)が営々として栄えて来て、更に後世も益々繁栄して行くものである。惟神言挙げせぬ国と云い、言霊の幸ふ国として栄え行く事実(事柄)は、神の造られし美し国であると云ふ事を痛感しなければならない、此の点本田翁が「先霊……」必せり(うべなう)と説かれているのである。(「顕神本田霊学法典」佐藤卿彦述)