神道と日本の記事一覧

大和心

第1302回 道之大原(本田親徳翁)-8(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2026-06-28

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

大精神の体なるや、至大無外至小無内にして、在る所無きが如く、在らざる所無きが如し。聖眼も之を視ること能わず。賢口も之を語ること能わず。故に皇典に謂ふ所の隠身なるものは、則ち神の義なり。宜なる哉其の霊々妙々なるを。

解説

此の項目は、天御中主神の神体(御活らき)を讃嘆(ホメ・タタエ)したものである。(広い意味では只「神」)真道問対(212頁)「至大(極大)にして外なく、至小(極小)にして内なし、在る所無きが若く、在らぎる所無きが如し(在所が有る様でも有り、無い様でもある)」。此の為に余程の霊能力者でない限り、聖眼(聖人の眼)でも之れを視る事は出来ないし、人も口で之れを語る事が出来得る次元(世界)ではないのである。故に皇典に曰う隠身なるものは則ち神の義訳である。

△本居翁説=加微―古典に見えたる天地諸々の神達を始めその祀れる社に坐す御霊を申す。又は人は更にも云わず鳥獣木草の類、海山のものなど、何れにせよ尋常ならず優れて徳のある可畏き物を加微と云う。「優れたる事とは、尊き事、善き事、功しなどの優れたるばかりでなく悪しき物、奇しき物なども世に卓(スグ)れて可畏きものを神と云う。

△平田翁説神=神と云う言の義は、日本紀の首に「古へ天地未だ剖れず陰陽分れざるとき渾沌たること鶏子(トリノコ)の如く、溟滓(ククセ)(暗い。海沈んだもの・滓)りて牙(キザシ)を含めり」とある「牙(カビ)」であり、加備なり。加微と加備は同じ言であって、奇異に妙なる事を称(イ)ふ。

△本田翁は=神は幽体(カクリミ)、隠身の義なりと説く。(「顕神本田霊学法典」佐藤卿彦述)