本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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太陽の働きが誕生から今日まで一定でないことは言うまでもない。その経緯を説神理で説くために、この天之石屋戸の段が取り入れられたものと推察する。日食とかその程度の話にはとても思えない。これは大穴牟遅神の神話にも通ずるものがある。
「『日本書紀』では一貫して大己貴神(命・大神)の名で活動しているのに対し、『古事記』では稲羽の素兎や大国主神の国作りなどの神話の展開に伴って、大穴牟遅神・葦原色許男神・宇都志国玉神・八千矛神・大国主神と呼称が変遷しており、大穴牟遅神の神話(稲羽の素兎・根の堅州国訪問)は、王者となるための成長物語とみる説がある。」(「国学院大学・古典文化事業」のサイトより)
神が王者になるために成長してゆく、とはお伽話の世界のようだが、8世紀の人々ならいざ知らず、今では子供でも信じないだろう。
古事記で大穴牟遅神から御神名が変遷してゆくのは、神の働きが変わってゆくからだ。それは地球誕生からの歴史を顧みればわかるだろう。地球は46億年前千度を超えるマグマに覆われていたが、その後徐々に冷えてゆき44億年前に海が誕生したと考えられている。そして天体の衝突や、地球全体が氷床や海氷に覆われたスノーボールアース現象等々、多くの過酷な試練に見舞われてゆく。大穴牟遅神の死と再生の神話は、この地球が形成されてゆく過程を説神理として説かれたものだろう。