◎天地人道を同じうするか。
△道を同じうして天道と日ひ、地道と曰ひ、人道と曰ふは、各々自ら形体之大小。軽重に有り、故に命名同じからざるなり。
と有る様に道は同じであっても各々の自らの真心の練りようによって魂の大小・軽重を生ずることを云っているものと解す。
鎮魂の起原は天の岩屋戸前の条の、天宇受売命の神懸りに始まる事は一つの定説である。
「鎮魂」なる字句の古くに見えるものは「古語拾遺」に「凡そ鎮魂の儀は天鈿女命の遺跡なり」とあるのを始めとする。
本田翁が、令義解の職員令神祗官の部に有る「鎮魂=謂る鎮は安也、人の陽気を魂と曰う魂は運也言は離遊の運魂を招き身体の中府に鎮む、故に鎮魂と曰ふ」の一説、之を引用して鎮魂法を説いて居るが、翁の鎮魂法は自己の霊魂の運転活動に有る事で、鎮魂の完全な状態は自己の肉体と霊魂の分離の境地に至る事であり、此の境地に至れば霊魂の運転活動が出来得る訳で、単に遊魂を身体の中府に留めるだけの者では無いのである。霊魂の運転活用が出来得る事に依って神明へ通ずるの妙境え至る事が出来るものである。
此の様な点が他の鎮魂と称している説とは全く異った処で、翁の偉大なる発見とも云えると思う。
布留辺の法は、令義解神祗官の部に、「古記に云う、饒速日命、天より降る時、天神、瑞宝十種(イズノタカラトクサ)、奥津鏡一、辺津鏡一、八握劔一、生玉一、足玉一、死反(マカルカへシ)玉一、道反玉一、蛇(ヘミ)比礼一、蜂比礼一、品々(クサグサ)物比礼一を授け、教ゆるに、若痛(モシナヤム)所有らば此の十種の神宝を合せ一二三四五六七八九十と云ふて、布留部(フルベ)、由良(ユラ)々々と布留部、如此(カク)為しては死(マカレ)る人も生み返るらむ」、此れは疾病を癒し死れる人も蘇生せしむと教えたもので、義解にある運魂を身心に安んずると同意であり、祈祷的要素を含んでいる。
「法を外に求め、術を異に尋ね」は霊媒や修験道に走るような事を云っている。
「汚穢日に加わる」は魂の汚れが日々に加わっていると魂の澄清を求める霊学(神界の法則)に反する行為を悲しむと表現しているものである。(「顕神本田霊学法典」佐藤卿彦述)