本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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宮中の形代は、熱田神宮の神剣以上に災難に見舞われる。1185年には壇ノ浦の戦いに際して幼い安徳天皇の入水に伴って水没し、必死の捜索にもかかわらず喪失の憂き目にあった。
その後しばらく経って、伊勢神宮から奉納された神剣を形代とすることになった。そして偽造事件などを経て、1443年には後南朝勢力により奪われたが翌日に発見。1839年にも盗難にあうがすぐに回収された。
ここで注目したいのは、神罰と思われるようなケースが散見されることだ。しかし神道の神は「造化の神(大自然のエネルギー・法則)」なので、怒りによって神罰を与えるようなことはない。
草薙剣の場合も、その祀り方が適切でなかったことで神威が発揮されず、様々な處で歪みが生じた。そこで神意に従って正しく祀ることで本来の神の働きを復活させようとしたわけだ。
また、ご神体を実見するのは、神職ら本人にとっても神への不敬ということで大きな心痛をもたらしたことだろう。それが重病に繋がっていったのだと思う。