一般財団法人 野萩青少年育成財団
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がん放置療法の是非

2022-09-19 著者:小山一夫

原文保存・医学的校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

 

「がん放置療法」の近藤誠氏死去…医者に言われるままの医療に一石 | ヨミドクター(読売新聞) がんが見つかったら手術や抗がん剤治療を行うのが医療界の常識という中で、著書「患者よ、がんと闘うな」(1996年)などでがんの放置を主張してきた医師の近藤誠氏が亡くなりました。自ら開設した「セカンドオピニオン外来」(近藤誠がん研究所)に向かう途中のタクシーで具合が悪くなり、病院に搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となっ...リンクyomidr.yomiuri.co.jp

 

『がん治療は、手術法や薬の選択、抗がん剤の副作用の抑制などいろいろな面で進んできて、今やがんのイメージは「不治の病」ではありません。治療法は多様化し、その効果も格段に高まりました。その中で、近藤理論は色あせて見えますが、医者に言われた通りに治療を受けるスタイルに一石を投じ、患者側も、どうしたいか医療者側に伝える必要性があると訴えた意義は大きかったと思います。

 医療が進んだとはいえ、手術するかどうか、手術か放射線治療か、患者は今も様々な選択に直面します。がんは、肺、胃、大腸、乳房などの部位や進行度、人によってがん細胞の性質が違います。また、患者の年齢や健康状態などによっても個人差があるからです。』

 

祖父は我慢強過ぎたせいか、病院に行くのが遅かったために、末期がんで手遅れになってしまいました。そのためか父は、複数の病院でそのまま様子を見た方がいいと言われたにもかかわらず、最後に行った某大病院で医療事故にあい、裁判をしながらの闘病になってしまいました。

 

祖父は放置したつもりはなく、自分が癌だと知らずに病院に行くのが遅れたわけですが、父は祖父の「手遅れ」というのが記憶の中に強く残っていたのだと思います。

祖父は恐らく「がんもどき」ではなかったと思いますが、父は他の医師たちによれば一定期間全く大きくなっていない事から、後期高齢者でもあり、無理しないで少し様子を見ようという判断だったのでしょう。

 

私の場合は、発見後に年末年始にかかってしまい、何処の病院でどんな治療を受けようかと悩んでいるうちに半年経ってしまいましたので、故意に放置したわけではありません。4つの腫瘍が同時に寛解したのではなく、甲状腺のところだけひとつ残ってしまいました。某大学病院の担当医から、少し大きくなっていると言われガッカリしました。精密検査の予約をして帰宅したのですが、2週間半くらい後の再々検査の日になぜか自然に寛解していました。それで検査不要となり、その後は各部位の定期健診です。

なので我が家では、故意に放置した経験はありません。

 

今考えるに、もしも自分が75歳超だったら、たぶん大病院には行かずに、掛かりつけ医のところで、闘わない療養生活を送ってそうな気がします。

でも父の様に、65-75歳ですと、難しい判断ですね。

65歳未満なら真剣に戦う方法を検討するんじゃないかなあと。。。

 


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