序章 昭和二十年に何を守ろうとしていたのか
一 同じ言葉で違うものを守る
終戦をめぐる議論を、戦争を続けたい軍人と、平和を望む人々の対立だけで理解すると、重要な問題を見落とす。戦争を終えようとした側も、国体を捨てるとは言っていなかった。戦争の継続を主張する側も、国を滅ぼすことを目的にしていたのではない。双方が護持を唱えながら、そのために必要と考える条件が違っていた。
一九四五年八月、日本政府はポツダム宣言受諾に際して、天皇の国家統治の大権を変更する要求を含まないとの了解を条件にした。連合国側の回答にある「subject to」の解釈も、受諾をめぐる争点となった。天皇や政府の権限と連合国最高司令官との関係をどう理解するかは、そのまま戦後の国家像にかかわった。〔資料16〕
ここでの国体は、漠然とした国への愛情だけを意味していない。誰に統治の権限があるかという具体的な政治問題である。皇室が存続することと、戦前と同じ統治の仕組みが存続することは、同じではない。それでも両者が一つの言葉に重ねられれば、何を譲れるのかが不明瞭になる。
国体という言葉の解釈が多様であること自体は、不思議ではない。一つの国には、制度も、信仰も、生活も、記憶もある。しかし、何を失えばその国ではなくなるのか、という問いになると、際限なく意味を広げて済ませるわけにはいかない。何を残すために、何を変えることができるのか。昭和二十年は、それを現実の決断として迫った。