一般財団法人 野萩青少年育成財団

鎮魂法と帰神術

先行公開・2026年10月11日

第3回 第3回

なお、神武天皇が大和御鎮征後、鳥見(とみ)山中で霊時(まつりのには)を建て、天照大御神を祭り、天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)を祀らせ給うたのも右の岩屋戸の祭儀に則(のつと)ったものである。本居翁著古事記伝に、書記神武の巻に、顕祭此を云干図詩恰破昆(うつしいはい)と有り、太古は天津神籠(ひもろぎ)、天津磐境(いわさか)とて、自然の崇厳なる森林とか山又滝などを以て神の御室として斎祀していたのである。

垂仁天皇廿六年十月に、倭姫命によって伊勢国五十鈴の川上を、天照大御神の御鎮座地として底津磐根に大宮柱太敷立て、御神殿を御建設遊ばされたのが最古の建築神殿である。神簾にしてもこの神殿にしても、之の御前で祭典儀式を行うのが顕斎で、即ち神殿あり、祭式あり、楽あり玉串の奉箕等が行はれる処の、一般各神社で執行する祭事を「顕斎」と云うのである。

書紀に、大穴牟遅命の御言に「吾所治顕露事者(わがしれるあらはにごとは)、皇孫当治(すめみまのみことしろしめせ)、吾将退治幽事云々(あわかくしてかみごとしりなむ)」とあり、此の時に顕幽の区別(けじめ)が定まったと云はれるが、幽神事(かみごと)とは幽冥界の事であり、顕露事(あらわにごと)とは顕界の事である。故に顕幽なるものは、之によってよく察せられることと思う。

第二章 幽 斎

本田親徳翁著「道之大原」解説(一三六頁)に、「幽斎は霊を以て霊に対し、現(顕)斎は形を以て形に対す。故に幽斎は神像宮社無く而して真神を祈る。現斎は神像宮殿有りて而して衆神を祭る。俗学蒙味にして古義を知らず。云々」と有るように、幽斎には神殿なく、儀式祭典なく、たゞ吾が霊魂を以て神霊に対する、いわゆる「霊対霊」の術があるのみである。 

鎮魂法、帰神術は共に之の幽斎の法である。

帰神術の幽斎の法は次の公式・正式・普通の三つに分けられて居る。

公式幽斎とは神界から直接の御命令で施行致すもので、天下国家に関する神々の御経綸(国家繁栄。治国済民の方策)を承り奉仕致すもの。

正式幽斎とは幽斎に奉仕致す審神者が神主を通じて(他感法)神界に於いて必要とされる御啓示を賜わって施行致すもので、神社奉祀の神界の幽の祓い行事はこれに属する。

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