尓後、両翁の御遺志に依り神道の本源たる鎮魂法、帰神術の神術と学説とを指導して居る傍ら、霊術によって各種の事柄の解決等を行なつて来ている。なお長沢、稲葉両翁逝って二十余年、両翁の門下数多ありしも現今は殆んど故人となり、正統なる霊学神術の失せるのを惜み、本田霊学を後世に残して置くべく、此の霊学の一端と神法修法に関する本「古法式鎮魂法、帰神術」なるものを著述した。斯道を歩む後学の人は、此の著書によって椑益される事もあらんかと惟う。故に一読して其の蘊奥を探られよ。
昭和三十七年四月一日
顕神本曾 佐藤卿彦』
次に、「顕神本田霊学法典」に収録されている「著者略歴と顕神本会設立の目的」をご紹介したい。大本事件等の時代背景を考慮して読まれた方がいいと思うが、とりあえず引用する。
『一、略歴
昭和五年頃、京都伏見、稲荷大社の講社を組織する津村銑一先生に指導を受け、始めて神道の知織を得る。同先生より稲葉翁の紹介をうけた。
昭和六年五月、稲葉大美津翁に入門す。指導法は、本田親徳翁著の道之大原 ・真道間対を根幹とし、神道各般に渉っての講義と、古法式鎮魂法・帰神術の実地指導の教授を受けた。
昭和十三年、稲葉翁逝去に伴ない、その先生に当る長沢雄楯翁に入門し、引続き御指導を賜 った。翁は平田学派と云ってもよい。平田学説の書籍と本田霊学の学理の講義と、幽斎の教授をうけ稗益すること多大であった。
二、顕神本会設立の目的
著者は大正二年十一月三十日静岡市に生れ若冠二十三歳にして顕神本会を設立致し、本会趣意書の実現のため微力を尽して参ったのである。
昭和十一年三月十三日に講社名称(顕神本会)公唱認可願を月見里稲荷講社総本部に提出いたし三月二十六日に許可を得て、更に趣意書並びに会則を作成の上、同年四月一日付で講社結成願を提出し、同年五月六日付で認可され本田霊学幽斎の顕現に努力致し数多くの同憂の士に接することを得たのである。是の後昭和三十三年十二月十五日に本会の会則改定を「時代の推移に即応する」如くに致そうと改定認可願を提出の上、即日認可を得て現在に至って居るもので、本会趣意書、会則を次に述べることに致す。
因みに、今日までに幽斎を四十数社にわたって執行するとともに、なお現在も鋭意斯道を指導中であることを書添える。
趣 意 書