一般財団法人 野萩青少年育成財団

霊学の継承 終戦まで

先行公開・2026年10月11日

第4回 第4回

前にも記しました通り同藩の誼ある西郷隆盛の紹介によって、外務卿副島種臣と親交を結んだのは明治六年の頃と考えられますが、この両傑が大西郷によって、後に斯道の師弟となる縁が結ばれたことは実に感慨深いことに思われます。この両者の間に交された「真道問対」は本田霊学の主要文献の一つとして重視せられて居ります。副島種臣はその後明治の元勲として天皇の御信任特に厚く、一等侍講として仕え奉り、又政府の要職を歴任して伯爵を賜わって居りますが、その後三十一年十二月佐々木哲太郎輯録にかゝる「蒼海語録」(別名蒼海窓問答)は伯の思想哲学の代表文献として重要なものであります。「真道問対」を隔たる十五年の後に成稿したもので、この両書の対比によって霊学継承の一面が明らかになると思われます。依って本篇の第一章に「本田親徳と副島種臣」を置き、第二章に「本田親徳と長沢雄楯」とし、添うるに主な同門に触れ、続いて長沢翁の事績とその門下とに就いて順次筆を進めたいと思います。

薩摩藩では元々国学が盛んではなかった。

国内屈指の国学者であった本居宣長の元へも、薩摩藩からはひとりも入門していない。国学の存在は知っていても、薩摩では公に学べないような状況にあったのだろうか。

その陰で、島津久光(1817-1887)が「古史伝」を所望するなど、徐々に国学を重視するようになり、大久保利通らも国学思想を基に自分たちの思想を久光に伝えようとしていたという。そのような背景から、平田篤胤の元に薩摩藩士が集うようになる。薩摩藩では徐々に、平田学派が盛んになり、古学としての神道思想が色濃くなってゆく。これがその後の神仏分離(神仏判然令1868)を加速させる背景となる。

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