原文
我日本は建國の體相自然に出て、神聖なる固有の道義存せりと稱す。然れども、我國嘗て其至高なる道義を詳説せる書契あることなし。古今の學者、其唱道する所、幾百萬言、概皆、孔孟を祖述し、堯舜を崇敬するものにして、特に我固有の徳教を明にするものあることを聞かず。何によりて其所謂神聖卓絶なる美徳良風を晰むることを得んや。人或は日本の歴史は則此徳教を明示せるものにして、仔細に之を察すれば、以て我道徳の本體を明らむるに足るものありと云と雖も、未だ徳教の意義整然として、其閒に明晰なるものあるを見ず。世界各國の史を讀むと甚だ大異あるなし。彼の支那の經典、或は西洋の聖書の如き、各其綱領を詳説して義理明晰、大小餘さず人をして容易く其旨とする所を詳にし、其の眞味の浩大正明なるを感ぜしむ。我國巳に固有の道徳を存せりと稱す。而して經典聖書の明晰に、容易に、其主旨を教ふるが如きものなき、是掩ふべからざるの缼點なりと。此般の謬想を懐ける者、世甚少しとせず。
自ら惑ふて、而して人を過る。其弊害の及ぶ所、甚大なるものあり。辯ぜざるべからず
現代語訳
「日本は、国の成り立ちが自然に由来し、神聖な独自の道義を持つという。しかし、その最高の道義を詳しく説いた書物は、これまで存在しない。古今の学者が何百万言を費やして唱えることも、おおむね孔子・孟子を受け継ぎ、堯・舜を崇敬するもので、日本固有の道徳教育を明らかにするものは聞いたことがない。それでは、いわゆる神聖で卓越した美徳やよい風習を、何によって明らかにできるのか。
日本の歴史こそ、その道徳教育を示し、詳しく考えれば日本の道徳の本体を明らかにできるという人もいる。しかし、そこに道徳教育の意味が整然と明確に示されているとは思えず、世界各国の歴史と大きく違うわけではない。中国の経典や西洋の聖書は、それぞれの要点を詳しく説き、道理も明確で、大小の事柄を漏らさず、読者にその主旨を容易に理解させ、その意味の広大さと正しさに感じ入らせる。日本は独自の道徳を持つというのに、経典や聖書のように明快で分かりやすく教えるものがない。これは隠しようのない欠点である」。
このような誤った考えを持つ人は、世に決して少なくない。
自ら迷い、他人をも誤らせる。その弊害はきわめて大きい。反論しなければならない。