2022-04-28 著者:小山一夫
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孔子曰く、50歳にして天命を知る、ということですが、天命を知るのは、簡単ではありません。
50歳になれば自動的に「知る」事ができるのならばいいのですが、その前提条件は「30にして立ち、40にして惑わず」なのです。
「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」
「立」と「不惑」ですが、これにはとても深い意味を感じます。
私は「立」とは「何ものにも依存しないこと」つまり真我独存であり、「不惑」とは「真理に触れること」つまり無との合一だと解釈しています。
ウパニシャッドにあるように、真我独存しませんと離脱ができません。
離脱によって無と合一しますと、自分の中に一つの羅針盤が出来て、進むべき方向が定まりますので、迷いがなくなります。それがヨーガでいう「あるがまま」であり、神道の説く「惟神」なのです。
「天命」とは、まさにその時に覚るものなのです。
この40年ほど、内外の仕事に追われていましたので、思い通りの研究や修行ができませんでした。そこで10年ほど前から、かなり仕事を減らして、心機一転、真剣に修行をやり直すことにしました。四住期でいうと、林棲期に半身進めたところです。
いつの日にか
「七十而從心所欲、不踰矩」となれれば言う事はないのですが。