一般財団法人 野萩青少年育成財団
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シッダールタ―1

2022-06-08 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

 

『すでにして彼は、
ことばの中のことばなる「オーム」を、声を出さずに口に発し、吸う息とともに、声を出さずに自分の中に向かって言い、吐く息とともに、声を出さずに自分の中から外に向かって言うことができた。魂を集中し、明思する精神の輝きに額を包まれて。
すでにして彼は、自己の本性の内部に、破壊しがたく、宇宙と一体なるアートマン(真我)を知ることができた。』
(新潮文庫より)

これは『シッダールタ』の2ページ目にでてくる記述です。
高校の頃、最初にこれを読んだとき、もう彼は卒業ではないかと思いました。なんで修行に出る必要があるんだろうと、不思議に思ったものです。

禅で悟りのことを「見性」と言いますが、私は当時これを「本性を見ること」と単純に解釈していました。


辞書(大辞林)などでは、
「修行によって表面的な心のあり方を克服し、自分に本来備わっている仏の真理を見きわめること」と書いてありますし「見性成仏」という言葉もあります。


こちらは「禅宗で、見性して、悟りを開くこと。見性悟道」という説明です。

また「直指人心、見性成仏」という禅語は「教説や修行によることなく、座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、悟りを開いて仏と成ること」という意味だそうです。

仮に、人間が本質的に仏性(=宇宙と一体なるアートマン・真我)を持ち、それに気付くことで悟る、という発想によるならば、冒頭のシッダールタは、すでに悟りの境地に至っていると考えたわけです。

仏の定義も様々なので、当然仏性についてもいろいろな捉え方がありますが、当時は、彼が出家する必要がどこにあるんだろうかと、単純に疑問に思ったものでした。


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