一般財団法人 野萩青少年育成財団
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ハタ・ヨーガとラージャ・ヨーガ―2

2022-12-12 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

 

そこであえて困難を承知の上で、私はこの一連の流れのスタートライン、つまり顕教ヨーガに立ち還りヨーガスートラに直接向かい合うことに致しました。

「瞑想を行うために意識的にある態度、姿勢をとれば
それは精神の慰みもの、玩具になってしまう。(中略)

光明の瞬間には意識はしぼみ去っている。

 

それゆえ光明を経験しようとする意識的努力も、
光明についての記憶も過去の出来事についての言葉を残すだけであり
しかも言葉は決して事実起こったことと同一ではない。

時間を超越した啓示の瞬間には、窮極なるものは直接現れる。

 

しかし窮極なるものは

いかなる表象(シンボル)も持たず人格でも神格でもない。」
『クリシュナムルティの瞑想録』 クリシュナムルティ

密教ヨーガは、確かに数多くの技術を提供しています。
その意味では、大変有意義なものであり、素晴らしいというべきでしょう。

ですが、ハタ・ヨーガ・プラディーピガーが著しているように、本来ラージャ・ヨーガへの準備段階でありながら、現実には、それを達成するのに数十年を要するような状況になっています。

でもそれではヨーガの本命とも言われる凝念(ダーラナ)以降の修行に、人生の晩年のごく僅かな時間しか充てられません。

なにか本末転倒しているような印象を受けるのは私だけでしょうか。


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