2022-12-19 著者:小山一夫
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これは道家(出神法)でも、古神道(能動的な自感法、受動的な他感法)でもほとんど同じ原理です。サマディとはまさに真我と神我の合一を意味しますが、問題は具体的にどこにアクセスするかです。
つまり「神我とは何か?」が最大のポイントなのです。
これを誤ってしまいますと、サマディには入れません。
神我は、宇宙の最高原理とされていますが、アタルヴァ・ヴェーダでは、カーラ(時間)、プラーナ(エネルギー)、スカンバ(支柱)の3種類が例示されています。
ところが、これらはある意味「神」としての位置付けと言ってもよいのに、信仰の対象にはなっていません。中国でも「太極」や「道(タオ)」は同じ扱いです。日本でも神道の最高神である天御中主神を祀っている由緒ある神社は一つもありません。
つまり、信仰の対象になっていない「神」にアクセスするわけです。
これらは「造化の神」(根源的なエネルギー、自然法則の働き)という性格なので、信仰の対象である旧約聖書などの「造物主の神」とは本質的に異なります。
インドや中国、古代日本の考え方は、宇宙や大自然が神そのものであり、人間もまたその一部だということです。ですから同一化(梵我一如)という発想が生まれたのです。