2022-12-28 著者:小山一夫
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ヨーガスートラでは(「ヨーガ根本経典」佐保田鶴治著)
「心の作用が止滅されてしまった時には、純粋観照者である真我は自己本来の状態にとどまることになる」(1-3)
つまり真我には、元々純粋観照者としての働きがあるということです。
心の作用が既に止滅しているわけですから、ここでは集中も観想もマントラもありえません。従ってヨーガスートラの瞑想とは、自然無為の純粋観照の世界なのです。
さてこの純粋観照者である真我ですが、一体何を観照するのでしょうか。
真我は無形ですから、当然「肉眼で見る」という意味ではありません。
結論を言うと、真我が純粋観照するのは、まずは真我それ自身なのです。
この「顧(かえりみ)る」という働きは、アートマンに元々備わっているものです。
「真我は観えるのか?」と、疑問に思う方もいることでしょう。
ですが、密教ヨーガならいざ知らず、ウパニシャッドの理想を実現する為に作られた顕教ヨーガ(ラージャ&ジニャーナ・ヨーガ)においては、修行者が当然通過すべき「初歩的な関門」なのです。ですからヨーガの入門書であるヨーガスートラに登場するわけです。