2023-02-15 著者:小山一夫
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『真理はどこか遠くにあるのではなく、
あるがままの現実を見きわめることにある。
あるがままの己れの姿を曇りなく、あれこれの判断を何らさしはさむことなく見ることこそは、一切の探究の始まりであり同時に終わりである。』
「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版
ラーマナ・マハーリシは、かつて「私は誰か?」という問いの大切さについて語りました。
上記のクリシュナムルティの言葉は、まさしくその答えに至る為の要件といってよいでしょう。
「あるがままの己れの姿を曇りなく、あれこれの判断を何らさしはさむことなく見ること」
これについてはヘッセも「シッダールタ」で次のように著しています。
「静かな心で、開かれた待つ魂で、
執着を持たず、願いを持たず 判断を持たず、
意見を持たず聞き入ること」(新潮文庫)
まさに、ひと言一言が心に染み渡る至言です。
私はこれこそ「観照への極意」だと思います。
これらは真の瞑想の要件として、心に置いておくべき言葉でしょう。
瞑想とは、単なる想念遊戯ではありません。
先賢の智慧を学びながら、より深みへと達することが望まれます。