2023-05-21 著者:小山一夫
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かねてより禅では
「仏に逢うては仏を殺し、祖師に逢うては祖師を殺し」といいます。
この言葉は「無門関」の冒頭にある「趙州の狗子」にもありますので、ご存知の方も多いと思いますが、私はヨーガも同じスタンスでよいと考えています。
ハタ・ヨーガ・プラディーピガー(1-5~8)に「聖なる祖師シヴァ神」と出ているから、ハタ・ヨーガをやる以上シヴァ神を祭るべき、というのもその方の自由なので否定する気はありませんが、シヴァの解釈もブラフマンと同じく時代等によって様々ですので、深く勉強されるといろいろなことがわかってきます。
もっともハタ・ヨーガ・プラディーピガーはかなり難易度の高い技法書なので、そこに書かれている全ての行法をその通りに実行されるのは、ほとんど不可能に近いかもしれません。
でも、内容的には参考になる点も多々ありますので、ヨーガを学ばれる方々は一度は読まれたほうがよいでしょう。
ところでラーマナ・マハーリシはインドに住みながら、上記のようにかなり過激な発言をしています。でもこれはクリシュナムルティにもある部分共通するスタンスなのです。
『神を見出したりはできない。
神に至る道などはないのである。
人は様々な道、様々な宗教、様々な信念、あるいは
永続的な祝福を見出す助けになってくれると思われる救世主や
導師など実に様々なものを作り出してきた。
しかし悲しいことに、探究はやがて、
幻想や、精神が既知なるものを用いて投影し、
手直しを加えて生み出した幻像にと行きつくのである。』
「クリシュナムルティの瞑想録」
幻想は、どこまでいっても幻想に過ぎません。
そこには宗教的妄想と自己催眠に陥るリスクもあります。
ヨーガを宗教と深く結びつけ、かつ信仰を強いることは、ヨーガスートラの理想する世界に逆行するといってもよいでしょう。