2023-07-16 著者:小山一夫
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仏教の辞典によれば、鑑機三昧について
「仏が説法するに際し、あらかじめ相手の機根、能力を観察する為に入る禅定」
という解釈がなされています。
禅定に入らなければわからない「機根、能力」とは何なのでしょうか?
それは禅でも古神道でも同じですが、真我の状態とその働きの特質に他なりません。
真我は、言うまでもなく、無形ですので、当然肉眼では見えません。
自分の真我を観ることは、アートマンの「顧る働き」によって可能になりますが、それでは他人の真我を観ることはできません。そこで「鑑機三昧」が必要になります。
サマディについて体験のない方々は、言葉遊びのようにあれこれと適当なことを言っていますが、サマディは、その質(働き等)の違いによって180種類以上あります。
鑑機三昧において、グル&老師は、無形対無形の観照を可能にする働きを持ったサマディの質をまといます。それによって相手の真我の状態を正確に見極めなければ、適切な指導などできません。
そしてその働きを一部残した上で、相手の方に必要な無形の働き掛けなり、新たな禅定を行ないます。その場合の技術的な使い分けですが、積極的な場合は前者になりますし、同一化の原理を活用する時は後者になります。
いずれにしても、禅や古神道においては、鑑機三昧なくして適切な指導などできないということです。