2023-08-06 著者:小山一夫
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学問と瞑想は、道を求める際の両輪でなければなりません。
学問だけで喜んでいたら、単なる言葉遊びで終わってしまいますし、瞑想だけでは、その体験を理解することができません。
いずれにせよ「覚(気づきによるさとり)の安定的な再現性」に至ることは困難です。
それでは人を指導することはできないでしょう。
もし両輪が揃うならば、禅の十牛図なども実感として頷きながら読むことができます。
なぜなら、学問的な理解と瞑想の体験の両方が揃っているからです。
読んでいてわからないところがあれば、その場で瞑想すればいいのです。