一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-2

2024-10-14 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)

 

 

ところで、空とか無と言われる境地は無念無想の延長線上にあるわけだが、頭の中を数字で埋め尽くすことは、明らかに無念無想に逆行する行為だ。眠れないと訴える子供に母親が”羊さんを数えなさい”と言うが、数息観は所詮羊を数えるのと大差ない。呼吸か羊かの違いだけで、頭の中は数字で埋め尽くされる。そのうち数えくたびれてうとうとと眠くなるだろう。警(きょう)策(さく)好きな方ならそれでもいい。少なくとも坐禅をしたような気にはなれる。


“いや、坐禅の瞑想は数息観だけじゃない。軟酥(なんそ)の法だってあるぞ”という方もいるかも知れない。だが、白隠慧鶴禅師の伝えた軟酥の法は禅病の治療法であって、日常の坐禅で行うものではない。


釈迦や達磨は坐禅によって悟りの境地に到ったとされるが、それでは彼らの坐禅も数息観程度のものだったのだろうか?いや、そうじゃない。そんなものでは、とても禅定に入れはしない。


では、坐禅の極意とは、一体どのようなものなのだろう?
ここでは坐禅儀、信心銘、証道歌と並ぶ禅宗四部録のひとつ「禅の十牛図」を題材にしながら、禅関係の技法だけでなく、禅の源流であるヨーガの奥義を駆使して、禅定に到るプロセスとテクニックを明らかにしたいと思う。
 


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