2024-10-16 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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中国禅のルーツ
まず最初に、達磨について幾つかの誤解を正したい。俗に達磨は527年に中国に渡り、禅と武術を伝え、河南省の嵩山少林寺近郊の洞窟で面壁九年の修行をしたとされている。そのことから、禅は達磨によって中国に伝えられたと思われている方が少なくないが、これは間違いだ。達磨自身が実在したかどうかという問題もあるが、仮に実在したとしても、達磨が中国に渡る以前から禅は伝えられていた。
仏教は紀元前2年の前漢の時代に、武術は西暦310年仏図澄によって、それぞれ中国に伝わっている。そして嵩山少林寺は、496年にインド僧仏陀跋陀禅師によって禅院として開基され、武術の鍛錬も行われていた。つまり、達磨が少林寺に赴く以前から、既に少林寺は禅寺で、武術の修行も行なわれていた。
確かに”達磨が毎朝、少林寺本堂の仏像の前で勤行し、雲水達に手取り足取り禅と武術を指導した”などという話は聞いたことがない。洞窟(伝光禄では少林寺東廊)でひとり壁に向かって坐禅(壁観)していただけだ。直弟子についても左腕を切り落として弟子入りした慧可(えか)をはじめ4人ほどだったという。
一般に達磨と少林寺は深く関っていたように思われているが、生前に確たる宗門の地位や特定の僧階等を与えられたという記録はない。ちなみにこの少林寺では唐代に、西遊記で知られる玄奘(げんじょう)三蔵も修行している。三蔵とは「経、律、論」を意味し、玄奘以外にも鳩摩羅什などが三蔵法師の敬称を皇帝から与えられている。