一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-15

2024-10-27 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)

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仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺す
ところで、黄檗にしても趙州にしても、歴史に名を残す禅の高僧たちは誰一人”毎日仏前で祈れ!信仰深ければ必ず悟れるぞ”などとは言っていない。それどころか禅では昔から「仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺す」(「無門関」)と主張しているくらいだ。

 

かつて達磨は壁観波羅門と呼ばれていた。彼は仏像に向かっての礼拝読経に熱心だったわけじゃない。日夜、壁に向かっての祗管打座で坐禅を徹底的に追及していただけだ。


道元は言う。「参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拜・念仏・修懺・看經をもちゐず、たゞし打坐して身心脱落することをえよ」(「正法眼蔵・辯道話」)と。つまり、祗(只)管打座に専念することこそが身心脱落への道だ、というわけだ。


信仰で誤魔化さない身心脱落の体験的真実とは?如何にしてそれを実現するのか?どうすれば可能になるのか?本書は、必ずやその答えを明らかにすることだろう。

 


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