2024-10-31 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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つまりウパニシャッドの瞑想とは、師(グル)の傍らに坐り、さらに師のまとったサマディの質と同一化するものに他ならない。そして、それこそがウパニシャッドの説くジニャーナ・ヨーガなのだ。
ここで前述の辯道話の冒頭を思い出して欲しい。
「端坐参禅を正門とせり」、「自受用三昧、その標準なり」。
既に述べたように、参禅とは師家(老師)の傍らに坐って坐禅を組むことであり、自受用三昧とは受動態での同一化を本義としている。つまり、この事からわかるように、坐禅とは(見性するまでは)一人で行なうものではないのだ。道元はまさしくウパニシャッドと同じスタンスだったと言ってよいだろう。