一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-18

2024-10-30 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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拈華微笑
私は、この問題を考える時、釈迦と摩訶迦葉にまつわる拈華微笑の話が参考になると思う。ある日釈迦は、いつもの様に霊鷲山の頂上で説法の座に着いた。

 

だが、その日に限って釈迦は一言も語らず、傍らの華を一輪拈り取り、沈黙の内に聴衆の前にさし示した。弟子達は何のことだか全く意味がわからなかったが、摩訶迦葉ひとりだけは、静かに微笑んだ。

 

その時釈迦は、「我に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり。教下別伝、不立文字、摩訶迦葉に付嘱す」と言ったとされている。以心伝心の劇的な伝法が、まさにその瞬間に行なわれたわけだ。でもここで考えなければならないのは、”何故摩訶迦葉だけが法を得られたのか”だ。


釈迦の傍らにはたくさんの弟子達が坐っていた。でも釈迦の悟り(三昧(サマディ))に同一化できたのは、結局、摩訶迦葉だけだった。ここが大事なポイントなのだが、ただ一人で坐っているだけでは何も起きないし、たとえ師の傍らに坐っていたとしても同一化できなければやはり何も起きない。従って、”傍らに坐る”と”同一化”は、同時に満たされなければならない条件だったのだ。

 


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