2024-10-28 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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正法眼蔵とウパニシャッド
道元は辯道話の冒頭で、「自受用三昧、その標準なり」、「この三昧に遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門とせり」と言っている。
自受用三昧とは、諸書ごとに様々な解釈があるが、私は”受動態で起こる三昧”だと理解している。能動態でない受動態での三昧とは、”受け入れることで起こる三昧”ということだ。これにはウパニシャッドにも通ずるとても深い意味がある。
次に端坐参禅だが、端坐とは、姿勢を正してきちんと坐ること、そして参禅とは、老師の傍らに坐って坐禅を組むことを意味する。つまり坐禅とは、本来ひとりでぽつんと坐るものではないのだ。もし禅定を実現したいなら、まず「正門」であるこの点に気づかなければならない。なぜなら「三昧に遊化する」ために、「自受用三昧」とともに、最も大事なポイントになるからだ。