2024-11-09 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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心の脱落のプロセス
身→心→身→心へと脱落には4段階あると書いたが、最初の心の脱落は、肉体が周囲の空間に融け込んだ時に起こる。感覚を受け止めるフィールドは残っているが、独特の調和が保たれることで、ほとんど雑念が湧いてこない。あたかも静かな泉の水面(みなも)を淡々と眺めているだけのような感覚だ。心中、風もなく波紋もおきない。意識は判然としていて心の平静を自覚している。
だが本当の意味での心の脱落とは、一定の調和によって雑念などを起きなくさせることではなく、ヨーガスートラ第1章にあるように心の作用そのものを止滅させることなのだ。心の作用が止滅したら、雑念や煩悩などどこにもありはしない。ではどうすれば、身の脱落から心の脱落へと進むことができるのだろうか?
先に外部のプラーナが波立ってくると書いたが、これは空間が歪んでくるような感触で、周囲の大気の密度が濃厚になり波打ってくるような感覚になる。それを体内に透過させることで、皮膚脱落が起こり、大気に融けてゆく。これを透体脱落と言ってもいいのかもしれないが、私は2番目の身の脱落を以って、真の透体脱落と考えたい。
それは肉体と大気の境が無くなるだけでなく、完全に肉体感覚それ自体が消失するレベルだ。自分の真我(仏性)だけが無重力の空間にぽっかりと浮かんでいる。まさに、肉体の空性を実現した瞬間だ。そして最終段階の完全なる心の脱落は、その次の場面で訪れる。それは道元の言う「超関脱落」(辯道話)、「透関破節」(海印三昧)の後だ。