2024-12-12 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章
第一図 尋牛
序
従来不失、何用追尋
由背覚以成疎、在向塵而遂失
家山漸遠、岐路俄差
得失熾然、是非鋒起
従来失せず、何ぞ追(つい)尋(じん)を用いん
背(はい)覚(かく)に由(よ)って以(もっ)て疎(そ)と成り、向(こう)塵(じん)に在(あ)って遂(つい)に失す
家(か)山(ざん)漸(ようや)く遠く、岐(き)路(ろ)俄(にわか)に差(たが)う
得失熾(し)然(ねん)として、是非(ぜひ)鋒(ほう)起(き)す
頌
茫茫撥草去追尋
水闊山遙路更深
力尽神疲無処覓
但聞楓樹晩蝉吟
茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋す
水闊(ひろ)く山遙(はる)かにして路(みち)更に深し
力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処(ところ)無し
但(た)だ聞く楓(ふう)樹(じゅ)に晩(ばん)蝉(せん)の吟(ぎん)ずることを
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茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋す
茫々とは、「果てしなく広々としているさま」(「大辞林」)。撥草とは、「草に覆われている土地を、草を払いながら歩く、の意。行(あん)脚(ぎゃ)修行のこと」(「佛教語大辞典」)。
果てしなく広がる草々をかき分けながら追尋する。
仏教には、原始仏教からはじまりそれこそ数多くの教義がある。仏教というひとつの括りでいいのか疑問に思うくらいだ。依経によっても主張が異なり、また同じ宗派でも指導者によって見解が違うこともある。禅宗から後期密教まで、仏教は幅が広すぎる。人間の本質についての考え方もさまざまだ。行脚修行も結構だが、一体どうやって追尋すればいいのだろう?