一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-55

2024-12-06 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第一図 尋牛


序
従来不失、何用追尋
由背覚以成疎、在向塵而遂失
家山漸遠、岐路俄差 
得失熾然、是非鋒起

従来失せず、何ぞ追(つい)尋(じん)を用いん
背(はい)覚(かく)に由(よ)って以(もっ)て疎(そ)と成り、向(こう)塵(じん)に在(あ)って遂(つい)に失す
家(か)山(ざん)漸(ようや)く遠く、岐(き)路(ろ)俄(にわか)に差(たが)う
得失熾(し)然(ねん)として、是非(ぜひ)鋒(ほう)起(き)す

頌
茫茫撥草去追尋
水闊山遙路更深
力尽神疲無処覓
但聞楓樹晩蝉吟

茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)い去って追尋す
水闊(ひろ)く山遙(はる)かにして路(みち)更に深し
力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処(ところ)無し
但(た)だ聞く楓(ふう)樹(じゅ)に晩(ばん)蝉(せん)の吟(ぎん)ずることを

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鎮魂という言葉がある。

令義解(834年)の神祇官の部によれば、次の様に書かれている。
「鎭魂  謂ふ、鎭は安なり。人の陽氣を魂と曰ふ。魂は運なり、言うは、離遊の運魂を招きて、身體の中府に鎭む。故にこれを鎭魂と曰ふ。」(「神典」)


この一文は、”離遊の運魂(自らの不安定な霊魂)を鎮める(安定させる)”ことの重要性を説いている。この場合の「魂」とは古神道では一霊四魂を指すが、真我(プルシャ)と言い換えてもよいだろう。だが問題は、それが日常的に離遊しているという点だ。つまり、それは「魂」(真我(プルシャ)・仏性)が統制を失っていることを示唆している。

 

古神道に於いて、鎮魂は神人合一に不可欠な修行として位置付けられており、その主たる目的は一霊四魂の制御にある。直霊(真我(アートマン))は四魂(他の4要素)をその中心力で引き付けてはいるが、未だコントロールできずにいる。先に書いた”一時的に失っているもの”とは、まさにこの制御能力に他ならない。

 

禅の十牛図ではその制御能力を覚醒させるために、見牛→得牛→牧牛の手順を踏む。真我(プルシャ)は自らのすぐ近くに離遊しているのだから、追いかけて尋ねまわる必要などない。牛をしっかりと見出し、牧童(アートマン)と共に身体の中府に安定させ、そして生命力を高めながら運転活用できるように訓練する。それが牧牛に至るプロセスの意味なのだ。
 


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