2024-12-18 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡
序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡
経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す
頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他
水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
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経に依って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
義とは、すじ道、長い経験によって社会的に良いと認められているすじ道のこと。閲とは、丁寧に読む、一つひとつ経験をつむこと。
経典を頼りに筋道を理解し、教えを学ぶことで跡を知る。
「宗教」という言葉は、本来仏教語だった。楞伽経に出てくるプラシッディ(完成の意)という語が中国で最初に「宗」と漢訳されたと言われている。以来、解脱の境地というか、究極的体験あるいは真理という意味で使われるようになった。そして「教」は言葉による伝達を指す。従って「宗教」とは、言葉を超えた解脱の世界を言葉によって伝えようとする試み、という意味になる。
禅ではよく教外別伝(直接体験を通してのみ伝え得る教え)という言葉が使われるが、逆に言葉を以って教えを授けることを「教内の法」という。これは本来セットで扱われるべきだ。だから不立文字と言いながら、禅関係の文献は他の仏教各派よりもかなり多い。