一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-68

2024-12-19 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第二図 見跡

序
依経解義、閲教知蹤
明衆器爲一金、体万物為自己
正邪不辨、真偽奚分
未入斯門、権為見跡

経に依(よ)って義を解(げ)し、教を閲(けみ)して蹤(あと)を知る
衆器の一金為(た)ることを明らめ、万物を体(たい)して自己と為(な)す
正邪辯(べん)ぜずんば、真偽奚(なん)ぞ分かたん
未だ斯(こ)の門に入らざれば、権(かり)に見(けん)跡(せき)と為す

頌
水辺林下跡偏多
芳草離披見也麼
縱是深山更深処
遼天鼻孔怎蔵他

水辺林下 跡偏(ひと)えに多し
芳(ほう)草(そう)離披(りひ)たり 見るや也(ま)たいなや
縦(たと)い是れ深山の更に深き処なるも
遼天(りょうてん)の鼻(び)孔(くう)怎(なん)ぞ他(かれ)を蔵(かく)さん
 

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達磨の語録「二入四行論」に、「理入とは教によりて宗を悟り」とある。「二入」とは、悟りに入るふたつの方法としての「理(理論)入」と「行(修行)入」を指す。つまり達磨に言わせると、前述の定義による宗教とは理入が主となるものなのだ。だが真の悟りを得るためには、当然のことながら理入と行入は共に必要であり、どちらかに偏るのは好ましくない。


ところで「さとり」には、「覚」以外にもうひとつ漢字がある。それは「悟」だ。「覚悟」という熟語になると、佛教語大辞典では、眠りから覚めること、真理を体得してさとりの智慧を得ること、などの意味になるが、悟だけだとやや意味が異なる。悟とは、迷いから目覚めること、経験的事実について論理的に理解すること、という意味だ。
 


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