一般財団法人 野萩青少年育成財団
記事一覧に戻る

禅の十牛図 考-82

2025-01-02 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
***********************************************

 

第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

****************************

 

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う

 

経典などの教えに従って、正しい道に入り修行すると、観照の境地で根源的なものに逢うことができる。

 

ここでの「源」とは、無形なる世界と言ってもいいかもしれないが、まだ明確に全てを観たわけではない。だが、その一端を垣間見たことだけは確信できる、という意味。


従声とは、教典等に従っての意。声教といえば、「教えは声によって説かれる」(摩訶止観)ということ。声(しょう)聞(もん)の声とは、教えを指す。得入とは、入り口に足を踏み入れること、仏道に入ること(維(ゆい)摩(ま)経)、さとること(法華経寿量品)。見処とは、見る(観照する)ところ、見る立場、把握する処。

 

逢源(ほうげん)は、「孟子」離(り)婁(ろう)篇(へん)下の「則取之左右逢其原」(則ち之を左右に取りて、其の原に逢う)を参照のこと。「之」は、純一無垢=赤子之心を指す。逢とは、両方(ここでは覚と悟)の側から少しづつ近づいてきて三角形の頂点で出会うこと、パタリと思いがけず出逢うことの意。この孟子(BC372-289)の言は「故に君子は其の之を自得せんことを欲する」と続く。つまり自得の大切さを説いているのだ。
 


元記事