一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-91

2025-01-11 著者:小山一夫

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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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身心脱落とは


さて身心脱落だが、かねてよりこれは道元の造語だとされている。道元は14歳の時に天台宗で出家したが、23歳で栄西の弟子明全と共に宋へ渡った。生涯の師となった天童山景徳寺の如(にょ)浄(じょう)老師に師事し、印可を受けて28歳で帰国。32歳から53歳まで22年間かけて正法眼蔵を著すが、志を遂げられずに未完で終わる。


道元は帰国後に身心脱落を説くが、如浄の「如浄録」には「心塵脱落」はみえるが身心脱落は書かれていない。

 

身心は身体と心だが、心塵は五欲や五蓋(がい)などの煩悩を意味する。道元が師の教え通り心塵脱落と言わずに、なぜ身心脱落と説いたのか?”単なる聞き違いだ”という学者も少なくないが、私はそうは思わない。

 

道元は周知の通り極めて聡明だったし、しかも中国語が堪能だったと言われている。もし聞き違いだというなら、身・心・塵の拼(ぴん)音(いん)がすべて同じなのかどうか、北京語ではなく浙江省の発音を調べてみるといい。そうすれば真実がわかるはずだ。
 


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