2025-01-07 著者:小山一夫
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禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛
序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物
声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず
頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成
黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
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黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
枝に止まるからうぐいすの声が聞こえる。日暖かで風和やかなところ、岸の柳は青い。そして、自然にそこ(無廻避処)に落ち着くと、ぼんやりと一部だけだが真我を観照できる。だが未だ不明確に見える程度なので、なんとか外観を描くことはできてもはっきりとわかったわけじゃない。
森々とは、威厳、荘重さ。頭角は、牛の角、牛の一部。無廻避処とは、自然に落ち着くところ、正法眼蔵・阿羅漢では涅槃妙心(絶妙な悟り。不生不滅の真理を主観的に表現したもの)の境地と並べている。
ところで昔から、太鼓や鐘の音を聞いて悟ったとされる老師達が少なくない。例えば無門は食堂の太鼓の音を聞いて忽然と見性したという。だが、太鼓や鐘の音で見性できるのなら、毎日朝から晩まで聞き続けていればいい。当たる確率(?)が高くなるかもしれない。
“いやそうじゃない。音は切っ掛けに過ぎず、その瞬間にまさに機が熟したから見性したのだ”という考え方もあるだろう。しかし私は少し違うように想う。音が切っ掛けで悟ったのではない。修行が進み、初めて心の作用が止滅し仏性を観照できた時に、突然の音によって「はっ」と我に返ったのだと想う。音は見性の切っ掛けではなく、現実に戻る切っ掛けになったのだ。
静寂の中で、心の作用が少しづつ鎮まり、深い観照の境地へと入ってゆく。自然無為に近づくことで、真我(仏性)の方から姿を現してくる。”真我の観照”(見性)とはそういうものだ。