一般財団法人 野萩青少年育成財団
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禅の十牛図 考-117

2025-02-06 著者:小山一夫

原文保存・内容校閲前/画像は元サイトから読み込みます。

禅の十牛図について技術的な側面から解説します。
(「悟りに至る十牛図瞑想法」より)
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第3章 第三 見牛


序
従声得入、見処逢源
六根門著著無差、動用中頭頭顕露
水中塩味、色裏膠青
貶上眉毛、但非他物

声より得入(とくにゅう)すれば、見処(けんじょ)源に逢う
六根(ろっこん)門 著々(じゃくじゃく)差(たが)うこと無し、動(どう)用(よう)の中頭々(ずず)顕(けん)露(ろ)す
水中の塩味、色(しき)裏(り)の膠(こう)青(せい)
眉毛(びもう)を貶上(さつじょう)すれば、是れ他物(たもつ)に非ず

頌
黄*枝上一声声日
暖風和岸柳青
只此更無廻避処
森森頭角画難成

黄(こう)*(おう)鶯枝上 一声声
日暖かに風おだやかにして岸柳青し
只此れ更に廻(かい)避(ひ)する処無し
森々たる頭(ず)角(かく) 画(えが)けども成り難し
 

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数息観は意識の方向付けが主になるが、随息観は数息観のように呼吸を数えるのではなく、呼吸に心身を委ね心を静めようとするものだ。つまり集中から観察(一部 観照)へ、収束から解放への移行に他ならない。


天台小止観によれば、随息観では、全身の毛穴が皆悉く解放されているように感じ、人体を構成する全て(三十六物)をあたかも心眼で観るかのような状態となり、その結果「心大驚喜、寂静安快」になるという。確かにその通りだと思うが、そうなるには幾つかの工夫が必要だ。なぜなら数息観から呼吸を数える行為を排除し、呼吸に心身を委ねるだけでは上手くゆかないからだ。

 

ではどうすればよいのか。

その答えは先のラーマナの「自然な呼吸を見守る方法」という言葉に隠されている。
 


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